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1%フィクションなニッキと100%リアルな気持ち ・・・のはず。 キーワードは「ワンニャン」
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って2,3日書かなかっただけで久しぶりとか言うオレってば、
もうホントにどうしようもねぇなあとか思っちゃってたりもするんですが・・。
気がつけば、ニッキ 167、I think.. 37、poem&words 6と、200を超える文章(?)と、
気分によっては手描きとかPCで絵を描いてきたんだなあとか振り返ってみると、
よくもまあここまで続いてんなーと自分で自分を褒めてやりたくもなる。
小学生のときは、日記とかって1日しかもたなかったオレが・・。
まあ人間って成長するもんだね。(いつと比べてんだオレのアホめ・・・

この前大学で「インターネットが子どもに悪影響を・・・」的なビデオ見たんだけど、
もちろんそういう側面ってのもあると思う。
子どもに限った事じゃなくてね。
匿名で語れて、暴力的な言葉も平気で吐けるし、
教育上よろしくないサイトにだって簡単にアクセスできるわけだしね。
たぶん悪影響とか挙げればキリがないんだろうね。
でも、1年半くらいブログやってて思うのは、
やっぱネットでニッキ書くって気楽でいいなーってこと。
手帳とかに自分の世界を展開するだけじゃなくて、
他の人が見てコメントくれたりとかってのも面白いし、
もちろん自分だけの世界にしたきゃ公表しなきゃいいだけだし・・・
使い方の可能性は、創造力次第でいろいろあるわけだ。
だからオレもここまでマイペース(っても、結構頻繁に)で書いてこれたわけだ。
そしてそれが、振り返ってみたらちゃんと自分の歩いてきた道として、
そのとき感じてたこととか考えてた事とかと一緒に形になって残ってる。
苦しかった事であったり、楽しかった事であったり、
長々と書いてみたり、一行で終わらせてみたり・・・いろんな形で。
やっぱこれも、自分の財産の一つなのかなぁとか思ってみたりもするんだよね。

・・・と、半年に1回くらいは、
こういう振り返ってみました系のニッキ書いてみたりしてん・・・・

・・ったく、ニッキで何書いていいのかわかんなくなるとこういう話題に逃げるクセ・・・

・・まあこれはこれで別にいいけど・・・。

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栃木観光(?)について、ニッキ書こうと思ったけどね。
それはまたの機会で・・・

なぜかってとさ、今日大事故あったからさ。
埼玉県川口市で。
ニュース見てれば知ってるはず。
散歩中の園児、保育士に車が突っ込んで数人の園児が命を落とした。
あれさ、めちゃめちゃ近所なんだ。
オレはまあ、事故の事は栃木の定食屋で知ったんだけどもね。
他人のことって言えばそうかもしれないけど、
近所ってことで身近にも感じるし、
中学校で教育実習してたから、
もしかしたら関わった生徒誰かの兄弟が巻き込まれているかもしれない。

車対人の事故。
これは100%車が悪い。
それは、赤信号を歩行者が信号無視してたからって、
飛び出してきたからって変わるものではないと改めて感じた。
「不運が重なった」、「歩行者も悪い」・・・
   そういうのってホントにただの言い訳にもならないんだ。
なぜなら運転免許を持ってるヤツってそういう約束で免許を与えてもらってるわけだから。

「赤信号でも歩行者が飛び出すことを想定する。」
「見通しの悪いところではボールが飛んできてつられて子どもが飛び出してくる。」
「死角になっているところに人がいる。」
「あの人はコッチの車に気づいていない。」


・・・・・
考えればキリがないくらいの、そして、考えるだけ無駄かもしれない「ありえないスチュエーション」を
全て起こり得るもの、回避できる準備をしなくてはいけないものとして考えなければならない。

うまくいえないけど、そういう約束のもと、運転者は免許を持つことを許されているのだろうね。

未だに事故は起こしてないものの、そう考えると、
「もしあーだったらあの場面は事故ってた・・」
そんな場面は多分数え切れないくらいあるよ、オレも。
でも、そうならなかったのは、それが「絶対にありえないこと」だったからじゃなくて、
ただ単に、今までは運がよかっただけ。
そう思わなくてはいけないんじゃないかな・・・。
そして、運はいつまでも続かない。
「もしあーでも、オレはちゃんと注意していたから事故にはならなかった」
自信を持って、そう言えるように、細心の注意を払わなくてはいけないんだろうね。
一般的になりすぎて感覚が麻痺しているんだろうけど、
オレ達は人の命を簡単に奪えるほどの危険な乗り物に乗ってるってことをしっかり思い出さなきゃいけないね。

今後、こんな事が起こらないように、起こさないように祈るばかりです。
そして今後、こういうことが少しでも減るように自分にも何かできることがあればなぁと思います。

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何から話すか・・・。
長くはなるよ。
たまには、ダラダラとクソマジメにいろいろ考えてみたりね・・・。
(『たまに』にできればね・・・)
しっかし長ぇ・・・。


普段の生活から、これから何かをするとき、すでに何かをしてるとき、
それに対して『これは意味のあることなんだろうか』と考え込んでしまったりすることが多々ある。
それが、ひいては人生の意味だったり、自分の存在意義であったりにつなげてしまっていたりして、
自分の行動の根拠にしたがっていたりする。
『意味があるかないか』・・・そこにとらわれると、
世界は一気に狭くなって、行動の幅も考えの幅も狭くなってくる。
それはさ、年をとる度に自然とそうなってくるものでもあるわけだ。
つまりは大人になったとか成長したとかいうことの一部でもあったりもするんだろうね。
たとえば、小さいとき夢中になっていた漫画とか映画とか。
その時はスゴい単純で、『面白い』とか『スゲー』とか理屈抜きに目の前で繰り広げられる矛盾しまくった世界にドップリ浸かれたわけだ。
それは別に現実逃避してるとかじゃなくて、シンプルにその場、その時間を楽しんでたということ。
でも年を重ねるごとにただ理屈抜きに楽しむってより、物語の、登場人物の行動の矛盾をつきたくなってくる。
その漫画なり映画を観て、単純に楽しめたか楽しめなかったかじゃなくて、
物語の中の一つ一つのことに無意識に『意味』を探し求めてる。
自分でも言っててよくわかんなくなってきてるけど、要はシンプルには楽しんでないかなって・・・。


意味のないことはやりたくない・・・とかって自分自身ももちろんそう考えることがよくあって、
なんだかんだやらなきゃいけないことを始めるのにだいぶ時間がかかったりする。
学校の勉強とかって特にそうだったかなって思うけど、
オレの場合はまあ、最近では卒論(泣)がそうだったりするんだけどね・・・。
ところがね、よくよく考えてみれば、そんな場合に自分自身の中で問題になってるのは、意味があるかないかじゃなくて、
単純にやりたいことかやりたくないことかであったりする。
意味云々は、ただのカッコつけの言い訳なんだよな。
だいたいこれからすることに意味があるかないかなんてわからないんだからね。
もし、ホントに意味があるかないかを予想できるなら、それは経験測ってヤツで、一度通った道なら・・・ってことだと思う。
もちろんそれが100%正しいってわけじゃないと思うけど。
これからやることに、意味があるってことを求めてたら、それこそ行動の幅も成長の可能性も狭めてしまうのかもしれないね。
むしろ、意味があるかないかに捉われないで道を決めた方が意味があるんじゃないだろうか・・・って感じる。
(って矛盾してっか・・・?)
『意味』って『あるかないか』じゃなくて、『あったかなかったか』って考える物なのかもしれない。

自分の行動に意味があったのかなかったのか。
アレを勉強した事は意味があったのかなかったのか。

なんだろ・・・振り返ってみて初めてわかる事で、
そんで反省して、よかったところは認めて、自分自身とか選んだ道を見直して、次のステージに生かすって感じかな。
何かをやる時感じる時はシンプルに、そんで振り返ってみてそいつを見直してみる。
そういうサイクルが、「最初に行動の意味を探す事」よりも重要なのかな、なんて思ってみたり。
そう考えると、結局、「なんだ!意味のないものなんてないじゃん!」ってトコに辿りついてしまったりもする。
子どもってのはシンプルに行動が始まる反面、後で見直してみることに関しては、意図的には出来ないと思うから、
意識的に自分を見直してみることが出来る点で、やっぱ大人だなーとか思う。
でも、始動に関しては断然子どもの方が上なんだろうな。
そんでいろんな経験が出来るんだろうね。
よく、「子どもはちょっと見ない間に見違えるほどに成長する」って言うけど、
それはシンプルな始動で多くを経験できるからかなーとか、強引につなげて考えてみたりする。

イロイロ考えを巡らせていると止まらなくなってくる(すでに暴走気味だな・・・)からこの辺で。
つーか、要は何が言いたかったかってーと、

グダグダ言ってねーで、グダグダ考えてねーで、とりあえず頭真っ白にして始めてみよーぜってとこかな。


そんで・・・・



お前はグダグダ言ってねーで、さっさと卒論やれと・・・(泣

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シンプルになれなくてちとしんどい。

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まーあ、たいしたことないっちゃないけどね。
連日の“ハンカチ王子”報道についてね。

早実の優勝で幕を閉じた甲子園。
決勝は壮絶な試合になって、高校野球の独特の雰囲気にドップリつかった人も多いだろう。
参加したどのチームも1勝を、優勝旗を目指して熱く闘ってきたと思う。
プロに見習って欲しいって思えるような試合もいっぱいあったと思う。
決勝はまさかの再試合。
両エースもよく投げたし、選手達みんな頑張った。
駒大も全力を出せたからか、涙を流している選手もあまりいなかったように感じた。
それだけ、自分達がやってきたことに自信と誇りを持ててたんだと思う。充実してたんだと思う。

せっかく“イイ”終わり方になると思った今年の夏の球宴もマスコミだ台無しにしてくれたとオレは思う。
気にすんなと言われればそれまでだし、オレが何か感じたところで何が動くわけでもわけでもないが・・。
それでもあの報道はやり過ぎだと言いたい。
一言で言えば、マスコミが取り上げたいのは『甲子園優勝投手』ではなくて『視聴率の取れる人気者』ってところが気に食わない。
彼はまだ高校生、確かにこの甲子園でも活躍は凄まじかった。
将来有望な選手の一人だと思う。
だからこそ、視聴率の食いモンにされてアレコレ取り上げて欲しくない、今は。
周りがドーノコーノ騒ごうが、キャーキャー言われようが、それはそれでいいと思うけど、
それに便乗するように、過剰に反応するマスコミは選手に失礼だと思う。
それは本人にもそうだと思うし、周りの選手も、彼らと戦ってきた相手にも。
第一、野球は投手力がかなり勝敗を左右するスポーツではあるけど、
優勝したのは、彼だけの力ではない。
周りの選手達の力があって優勝できたわけだ。
今日、夕方のニュースで五輪のアーチェリーの山本先生(現役教師)がこういった報道に対して、
「彼はまだ高校生なんだから、将来のために周りもサポートしてやらなきゃならない。」
みたいなこと言ってた。
まさにそうだと思う。


・・・・
どーも、過剰な報道をするマスコミをオレは好きになれない。
亀田の世界戦もそうだったと思う。
八百長どーのこーのって話もあるけど、亀田が責められるべきではないし、
あそこに至るまでの練習量・・・正直スゲーと思う。
少なくとも、オレにはできねー。
パフォーマンスはやりすぎかなとも思うけど、結局面白がって過剰に取り上げようとすんのはいつもマスコミなんだよね。
で、最後に叩かれるのは本人なんだ。
オレのチームメートも高校野球で○○新聞で言ってもないこと書かれてブチ切れてたよ。

とにかく、視聴率・面白い番組ってよりも、選手の未来を考えて欲しいって思った。



・・・・・・
卒論に出来そうだ・・・・。
まあ、遅くなったけど、高校球児お疲れさん。
それぞれの新しいスタートを頑張ってくれ!!

by 高校球児OB

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